善徳寺

最終更新日 2025年5月19日

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善徳寺(ぜんとくじ)

善徳寺
善徳寺
髻(もとどり)水戸天狗党浪士の髻(もとどり)










 

元治元(1864)年11月1日、尊王攘夷実現のため常陸国筑波山で挙兵した水戸天狗党は京都を目指します。
12月、天狗党一行は池田町を通過。その際、この善徳寺には、三十余人の浪士が宿営しました。
翌朝、出発に際し、二人の浪士が髻を切って住職に渡し、「今日を命日として菩提を弔って欲しい」と頼みました。住職は願いのとおり裏山にお墓(通称:生墓<いきばか>)を建てて菩提を弔いました。二人の浪士が遺品として残していった髻(もとどり)は、今も当寺に残されています。
※髻の拝観は事前に電話にて予約が必要です。

水戸天狗党浪士の生墓(いきばか)

生墓

本堂から裏山へ約5分程登ったところに水戸天狗党浪士のお墓があります。お参りする方は足元に注意して登ってください。※積雪時や大雨の時は危険ですのでお墓へのお参りはお控えください。

住所

福井県今立郡池田町谷口36−20

電話番号

0778-44-6615

地図

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